昭和38年開局当時 |
終段6CL6、変調6AR5のMT管、出力5W、水晶発振の自作送信機、変調トランスはラジオのジャンク品スピーカトランス一次側コイルを使用した終段プレート、スクリングリッド同時変調でした。マイクはクリスタルイヤホーンをケースに入れマイクとして使用しました。これでも「音が大変明瞭」と評判になりました。
受信機はこれも自作の高1中2を使用し、送受信機ともオール真空管です。
アンテナは10メータの使用済み七夕用竿竹2本を貰って来て、これに20メータのL型ロングワーヤを張って3.5と7MhzにQRVしました。もっぱらローカルラグチュー専門でした。
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昭和39年頃 |
終段6AR5の50Mhz、5W送信機を作成、受信機は6J6?を使用した超再生受信機で6、5、4、3エリアとQSOができました。しかし、混信に極端に弱く、10数局と交信したのみで超再生受信機はお払い箱になりました。アンテナは300ΩTVフィーダを用い、家の鴨居に張った1.5mの鴨居アンテナです。その後直ぐに真空管3本の50Mhzクリコンを作成しました。ミキサーノイズをいかに少なくするかで試行錯誤を繰り返し、ミキサー入力部の10PF?コンデンサーの穴にリード線を出し入れし最良点を容易に見つける方法を発見しました。
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昭和40年頃 |
終段5763(MT管)、50、7、3.5Mhz3バンドにQRVできる10W送受信機を作成しました。深い変調を得るよう変調管を6BQ6にしました。7Mhz用ツイップアンテナを建て、3.5MhzはL型ロングワイヤーとして働くようにしました。これで漸く7エリア外とQSOができるようになりました。ヤッパリ無線はアンテナです。50Mhzは竹製の釣りざおで組み立てたシングルのクワットでQRVしておりました。
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昭和43年頃
無誘導抵抗 |
TX15Sは21MHzSSB送信機キットです。トリオから発売されました。メーカ製としては珍しくフェージング方式(PSN方式)を採用しています。
TX40S、TX20S、TX15Sとありました。「S」と付いていますが、ファイナルは2本入ります。6AQ8を2本使ってバラモジを作っています。このころのTRIOは双3極管に6AQ8を多用していました。
これと自作受信機、平屋の屋根に建てた21Mhzグランドプレーンでヨーロッパ方面とQSOができました。
50Mhzのアンテナは3エレ、5エレとグレードアップを繰り返しました。
この頃、75Ω無誘導抵抗を入手しTX15Sの出力を終段の2B33(807のGT管タイプ)カソードに付けたこの.抵抗に直接入力し、50MhzSSBを得るハイレベルミキサー方式の50Mhzトランスバータを作成しました。東北地方で最初に50MhzSSBで2WayQSOに成功したと思います。たしか3の局でした。当時のCQ誌にも載りました。
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昭和45年頃 |
TX15Sと同時期に発売されたTS510を、漸く冬のボーナスを叩いて購入しました。
3.5〜28Mhzをカバーする当時としては画期的なSSBトランシーバーで、本体と電源スピカーが別筐体になっておりました。オール真空管で、ドライブ12BY7、終段S2001だったと思います。
28Mhzの2エレクワットを上げ28Mhzに主にQRVしました。
先に作成した、ハイレベルミキサータイプの50Mhzトランスバータも親機をTS510にしました。
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ローカルと作ったMC2F |
地域のローカル局10局ほど集まってメチルクラブと言うクラブを作りました。学生、会社員、先生、マスコミなど多彩なメンバー構成です。メンバーの多くは、DXに凝っておりましたが、連絡用に144MhzのFMトランシーバーを作ろうということになり、作ったのがこの「MC2F」です。全部で15台ほどつくりました。水晶発振の5チャンネル、オールトランジスター、1Wで、ケースは板金塗装を施しメーカ製の4分の1位の費用でできました。当時のメインチャンネルは144.48Mhzです。現在もチャンと動きます。
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昭和47年頃 |
50Mhzハイレベルミキサー方式のトランスバーターは構造が単純な反面、スプリアス特性、ローパワー(終段がA級動作)など不満点もあり、そろそろレベルアップを考えていた時に、キットの50Mhzトランシーバーがケンクラフト(トリオの別ブランド)からQS500として発売されました。早速購入し組み立てました。VFOのみトランジスターのオール真空管で、終段は2E26、受信感度がイマイチだった気がします。この時期に2階の屋根に1.8mルーフタワーを建てローテータで5エレ八木を回すようになりました。以前は手回しのテモテーターです。
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昭和50年頃 |
144MhzのSSBでのQRVを考えていた時に、清水電子からオールトランジスターの50、144Mhz2バンド用トランスバーターキット(型名はSー26?)が発売されました。丁度、ハム交換室に出された組み立て前の物を半値ほどで入手し組み立てました。筐体は弁当箱ほどで、10W出力、感度、SNが大変優れていました。これとTS510を親機にQRVしました。これ以降QS500は只の飾りになりました。
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昭和54年頃 |
TS830は現在でも多くの局が使っている名機だと思います。TS510に比べると感度、SN、周波数安定度が優れており、アナログダイヤルと周波数直読ディスプレーが付きました。ドライブ12BY7、終段6146Bでこれ以外はトランジスターです。裏面にトランスバーター端子が付いていた他、正面に終段6146Bのヒーター電源の切るスイッチが有り、トランスバーターの運用が大変楽になりました。なんと言っても音質は優れていました。TS830の後にも先にも、これだけの音質を誇る無線機は出てないと思います。
HFトライバンダーのモズレーTA33jを4mルーフタワーに上げたのもこの頃です。
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昭和57年頃 |
クリエート製15m自立タワー「KT7N」を建設しました。このタワーはコンクリートによる基礎工事が不要で、1.8mの穴を掘り埋め戻すだけのタイプです。手軽な分、タワーに上ると大分揺れます。このタワーにTA33jとクリエート製50Mhz6エレ八木をのせました。ルーフタワーには144MhzGPと電話線を用いた3.5、7Mhz2分の1λダイポールを上げました。
写真は平成12年当時のものです。
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昭和60年頃 |
FT726は50〜430MhzCW、SSB、FMでQRVできる他、サテライト機能を備えておりました。サテライト運用では送信周波数と受信周波数が連動しておらず、アップリンク周波数とダウンリンク周波数をパネル面スイッチ切り替え、調整するタイプでした。サテライト用アンテナはルーフタワーに当初144、430Mhzとも垂直スタック八木を上げておりましたが、スピンモジレーションが気になり、偏波切換ができ円偏波に適したオスカーハンターに変更しました。この頃は、衛星軌道要素がCQ誌付録に毎月掲載されており、これを見てAO10を追っかけました。
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昭和62年頃 |
近所のハムショップからFT726を言値で下取りするからFT736を購入しないかと勧められ、50〜1200Mhzまでカバーし、サテライト機能が充実(アップとダウンがリバースでも連動)していたので購入してしまいました。AO10、AO13、JAS1、JAS2、RS衛星、AO27、UO14、AO40など多くの衛星で活躍しました。1200Mhzは36エレループ八木で主にAO13Lモードに使用しました。今も使用中で2400、5600Mhzの親機の他、FMATVでも活躍しました。FT736の送信部ドライバーは受信時も常時A級動作で稼動しています。その為特に1200Mhzは発熱により時定数が変化し、送受信のRFゲインが3〜6dbほど落ちてしまいます。これが、唯一の欠点かもしれません。
この頃にスキャンコンバータのNS9100(松村電子が基板キットを配布)を組み立てSSTVを始めました。
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平成3年頃 |
TS830はSSBやCWで出力100Wが出るように設計されており、SSTVのように1〜2分間連続で送信し続けると終段の6146のダメージが激しくなります。これを理由の一つにしてXに掛けあい「もうこれっきりにするから」と一筆入れて購入したのがTS850です。TS830の音の良さに慣れ親しんだ当局としては、中々デジタル系の音には馴染めませんでした。Sメータのピョコピョコ!も抵抗があります。
この頃、エプソン製パソコンPC286を導入しログ管理とパケット通信を始めました。
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平成3年〜 |
平成3年頃からパソコンに熱中し、パソコンを組み立てては壊し、壊しては組み立てる、まるで開局当時の無線機を作っては壊していたのと同じ状況が続きました。
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平成10年 |
DSPのうたい文句に誘われてFT920を購入。XはTS830と入れ替えたので今だ気付いていない様子です?。3.5〜50MhzはFT920でQRVしております。
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平成13年 |
AO40でのSSTV画像をより綺麗に受信したいと考え、優れたノイズ処理機能のあるICOM製IC910を購入しました。DSP機能をオンにすると画像のザラツキがかなり改善されます。これまた、筐体が小さいのでシャックでは余り目立たずXが気付いているかどうかは、分かりません。「何んか知らない内に小物が少しずつ増えてるな」と思っているかも知れません。
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